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仙台地方裁判所 昭和30年(行)11号 判決

原告 片平六弥

被告 丸森町教育委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は原告に対して、被告が昭和二十九年三月三十一日附で発令されたという原告に対する丸森町耕野小学校講師を解職する、との行政処分は存在しないことを確認する。仮りに、右処分が存在するとすれば右解職処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

(一)  原告は、昭和二十五年十二月三十一日、宮城県伊具郡耕野村立耕野小学校の講師を命ぜられ、以来引き続きその職にあつたところ、昭和二十九年三月二十日、当時の耕野村教育委員会教育長森谷祐堂より、満五十五歳以上の教職員は全員退職させることになつた。原告もこれに該当するから、速かに退職願を出されたい、との通知があつたので、同日、右教育委員会宛退職願を提出した。

(二)  ところが、その後、原告は、右教育長の通知は、辞職の勧告であつて、本人の意思に反してまで、強制するものでないことがわかつたので、昭和二十九年三月二十六日、右教育長森谷祐堂及び右委員会委員長に対し、さきになした退職の意思表示を撤回する旨申しいれたところ、同人らはこれを承諾した。そして、原告は、引続き勤務していたところ、同年四月二十日、新任の耕野村教育委員会教育長今野常三より、解職辞令を受けとられたい旨の通知があつたけれども、原告は前述のように辞意を撤回しているのであるから右辞令を受けとらず、同日以後も学校長の命令で同年五月二十二日まで勤務していたが、同月二十三日、右教育長より俸給の支払いができないから出勤しなくてもよいと言われたので、その後は出勤していないのである。

(三)  被告は昭和二十九年三月三十一日附で、原告を解職したと称しているけれども、右のとおり原告は昭和二十九年三月二十六日辞意を撤回し、その後も耕野小学校長(被告委員会の教育長兼務)の命令で職務にたずさわつて来たし、解職辞令及び解職処分説明書の交付もないのであるから右のような解職処分は存在しない。

(四)  仮りに、被告が昭和二十九年三月三十一日附で、原告を解職する旨の処分が存在したとしても、(二)記載のように辞意を撤回しているのであるからさきの退職願はすでに失効したものであり、原告には他に何らの解職すべき事由もないし、解職辞令の交付もないので、右解職処分は違法である。

(五)  原告は仮りに解職処分をうけたとすれば、その意に反して不利益な処分を受けたと思つたので、昭和二十九年八月二十四日宮城県伊具郡町村公平委員会に対し審査の請求をしたところ、この事務を引継いだ丸森町公平委員会は、昭和三十年二月二十六日、不利益な処分ではないとして原告の請求を却下し、右裁決書は同月二十八日原告に到達した。

(六)  なお、宮城県伊具郡耕野村は昭和二十九年十二月一日、宮城県伊具郡丸森町に合併合体したので、耕野村教育委員会の事務は丸森町教育委員会が承継した。

(七)  よつて原告は被告に対し、解職処分の存在しないことの確認を求め、仮りに、解職処分が存在するとしても、違法であるからその取消を求めるため本訴に及んだと述べ、被告主張事実のうち、被告主張の日時、その主張のような耕野村教育委員会の決議がなされたことは認めると述べた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、次のとおり述べた。

原告主張の(一)の事実中、原告は昭和二十五年十二月三十一日宮城県伊具郡耕野村立耕野小学校講師を命ぜられ、爾来引続きその職にあつたこと、耕野村教育委員会教育長森谷祐堂は原告に対し、昭和二十九年三月二十日、退職願を出されたいと言つたこと、原告は同日、退職願を提出したことは認めるがその余の事実は争う、右森谷祐堂は耕野村教育委員会の方針として五十五歳以上の者は勇退してもらうことに決つたからといつて原告に辞職を勧告したのであつて、何ら強制的にやめさせる趣旨のことを言つたものではない。

(二)の事実中、原告が昭和二十九年三月二十六日原告は右森谷祐堂に対し、辞意を撤回する旨申し出たことは認める。原告が昭和二十九年五月二十二日まで学校に勤務したことは知らない。その余の事実は争う。耕野村教育委員会は、昭和二十九年三月二十二日第三回耕野村教育委員会を開催し、原告外数件の退職、転退職等の異動を協議したが、この際に、原告の退職願を承認し、解職することに決定して、同月三十一日附で退職を発令した。この間において、耕野村教育委員会では原告の辞意の撤回を承認したことはないのである。

そして耕野村教育委員会では同年四月二十日、臨時耕野村教育委員会を開き、原告に対する解職辞令の交付をなす旨を決議し、同日これを交付したけれども、原告は、耕野村教育委員会の机上に右辞令を放置して帰つたものである。教育長は辞意の撤回の意思表示を承諾する権原はなく、教育委員会の決定した事項を覆えす権限はないのであるから、原告の教育長に対する前記辞意撤回の申出は無効である。又耕野村教育委員会は原告から辞意撤回の申出があつたことについては何も関知しなかつた。

(三)の事実中、解職処分説明書を交付していないことは認めるがその余の事実は争う。

(四)の事実は争う。

(五)、(六)の事実は認める。

以上のような次第で解職処分の不存在ないし取り消しを求める原告の請求は失当である、と述べた。

(立証省略)

理由

原告は昭和二十五年十二月三十一日、宮城県伊具郡耕野村立耕野小学校の講師を命ぜられ、以来引続きその職にあつたこと、原告は耕野村教育委員会教育長森谷祐堂より退職願を出されたいといわれて、同日、これを提出したこと、耕野村教育委員会では昭和二十九年三月二十二日、委員会を開催し、原告の退職願を承認し、解職することを決定したこと、原告が昭和二十九年三月二十六日耕野村教育委員会の教育長森谷祐堂に対し辞職の意思表示撤回を申し出たこと、耕野村教育委員会ないし被告委員会は原告に対し解職処分説明書を交付していないこと、原告は本件の解職処分について、昭和二十九年八月二十四日宮城県伊具郡町村公平委員会に対し、審査の請求をし、この事務を引き継いだ丸森町公平委員会は昭和三十年二月二十六日、不利益処分ではないとして原告の請求を棄却し、右裁決書は同月二十八日原告に到達したこと、宮城県伊具郡耕野村は、昭和二十九年十二月一日、宮城県伊具郡丸森町に合併合体し、耕野村教育委員会の事務は丸森町教育委員会が承継したことは当事者間に争いがない。

先ず原告は、被告が原告に対して、昭和二十九年三月三十一日附で発令したという解職処分は存在しないことの確認を求めるので、この点について考えると、成立に争いのない乙第二号証、第三号証の一ないし三、第四号証ないし第七号証、証人森谷祐堂、今野常三、加藤清、谷津豊三、八島孝二、西条重吉の各証言を綜合すると、宮城県教育委員会では、五十五歳以上の教職員の勇退を求める等の教員異動方針をたて、地方教育委員会に協力を求め、耕野村教育委員会でも、この趣旨にそつて、五十五歳以上の者に辞職を勧告することになり、原告もこれに該当したので、当時耕野村教育委員会の教育長であり耕野村小学校の校長であつた森谷祐堂は、昭和二十九年三月二十日、この旨を原告に話した結果、原告は同日退職願を提出するに至つたこと、耕野村教育委員会では昭和二十九年三月二十二日委員会を開催して原告の辞職を承認したこと、ところが、原告は昭和二十九年三月二十六日になつて、右森谷祐堂に対し電話で辞意を撤回したこと、耕野村教育委員会では昭和二十九年三月三十一日附で原告を解職する旨の辞令を作成しこれを原告に交付すべく右森谷祐堂に渡したこと、原告に対する任命権者は耕野村教育委員会であつたけれども、給与の点で県教育委員会に依存している関係から右森谷祐堂は、県教育委員会の意向をたしかめなければ原告の辞意の撤回を承認することができないと考え、辞令の交付をみあわせていたこと、そして、県教育委員会としては辞意の撤回を認めない方針であることが明らかとなつたので、耕野村教育委員会では昭和二十九年四月二十日原告に対し解職の辞令を交付すべき旨を決議し、当時の耕野村教育委員会教育長兼耕野小学校長今野常三は同日、原告に対し、昭和二十九年三月三十一日附の解職辞令を交付したことを認めることができる。成立に争いのない甲第一号証の一、二、第二号証の一ないし三、第三号証の一、二、証人森谷祐堂、今野常三の各証言によれば原告は、昭和二十九年三月三十一日以後も従前通り職務を担当させられ、同年五月二十二日頃まで勤務していたことが認められるけれども、この事実をもつてしても右認定を左右することはできない。

而して右認定事実に徴すると、耕野村教育委員会では原告を解職することに決定し、昭和二十九年三月三十一日附で、解職の辞令を作成して、これを同年四月二十日原告に交付したのであるから解職処分不存在確認を求める原告の請求は理由がない。

次に解職処分の取消を求める点について考えると、

原告は昭和二十九年三月二十日耕野村教育委員会に対し退職願を提出し、同月二十六日耕野村教育委員会教育長に対し右辞意を撤回したことはさきに認定したところである。よつて、辞意の撤回が許されるかどうかについて考えると、私法上の相手方のある単独行為、契約の申込について、その意思表示は意思表示者に対し一定の拘束力を生じ、一方的に自由に撤回することはできないところ、(民法第五百二十一条、第五百二十四条等)、地方公務員の辞職の意思表示が単独行為であるか契約の申込であるかはともかくとして、任命権者は、辞職願に基いて辞職願出人の退職に伴う職員の異動計画等をたて人事異動を行い、退職によつて事務に支障を生じないようにするのが普通であり、かつ、退職発令のためには所定の手続決裁を経ることを要するから、そのために日時を要し退職の発令までには手間どることが通常であるが、もし、辞職の意思表示に拘束力を認めず、退職の発令までは何時でも一方的に辞職願を撤回できるものとすれば、退職を前提としてなされた退職発令のための手続、職員の異動、その計画等はすべて無駄になるばかりでなく、時には種々の行き違いや混乱が生ずることとなる。そういうことは私法関係よりも一層組織秩序を重んじなければならない公法関係においては許されないことであるから、任命権者の承諾その他特別の事情がなければ、辞職願は撤回することができないものと解するのが相当である。従つて、特別の事情の認むべきもののない本件においては原告の辞意の撤回は効力を生じないものといわなければならない。そこで、原告の辞職の意思表示に基いて耕野村教育委員会が昭和二十九年三月三十一日附で原告を解職することにし、同年四月二十日辞令を交付してなした処分は何ら違法ではない。

よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 新妻太郎 桝田文郎 平川浩子)

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